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     親や子や自分自身とのお付き合いから広がる世界
できるだけ忠実に対象を描き出すために、言葉を使いたいものです。

一方で、対象より先に出来上がっている言葉を圧倒的に言うことで、
見事に対象が作り上げられてしまうような言葉の使い方があって、
そこに言葉の危うさを感じます。

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時間が流れて、「いま」は、どんどん「いま」ではなくなっていく。

意識にのぼる知覚領域や範囲は、一瞬ごとに移り変わるので、
自分にとっての「ここ」も、どんどん「ここ」ではなくなる。

だから、言葉として現出する「いまここ」は、すでに遅れているのだ。

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「自由」は目的ではなく、成就に至るための道具だったんだ。

不自由の中に自由な選択を見出し、その結果、必然的に事は成る。
「必然」からも自由になろうとすると、さらに苦しい「必然」がやってくる。
成就は自由の彼方へ散々となり、際限のない苦しい欲望と化す。

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恐らくは不条理な、根拠のよく分からない動機があってこそ、
合理的な言語によって自分が形成され、存在し始めるのだから、
自分が何者なのかを知りたくなるのだけれど、結局、分からないのだ。
理解されたいくせに、そう簡単に理解されて堪るか・・・とも思う。

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本当の「絶対」は、そこらへんに、そう簡単には、ころがっておらず、
むしろ、いまどき、「絶対」と思っていたものが「絶対」ではなかったと
気づくことの方が、人生を前進させるのかもしれない。

ただし、全てが価値相対であるわけでもない。

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少なくとも専門家の一部は、「そんなことも知らないの?」に弱く、且つ、
他の同業者より気分的優位に立つ術として、その表出法を会得する。

ここでの勝者は、システムに組み込まれる苦しみを背負うことを知らず、
自分は無知であると認める者には、制約のない可能性が保障される。

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今は、もう未来になってしまったのだけれども、
その未来がどんな未来だったのか、よく分からないでいる。
そもそも自分にとって未来である限り、リアリティを感じることはない。
しかし、未来は、始まっている。

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もし、本当は、問題の所在も、解決方法も知っているのに、
社会的制約と心理的抵抗を自分たちで気付かぬままに増大させて、
個人個人が実力を発揮できないでいる人の集まりなんだとしたら、
向かわなきゃいけない方向は、もうほとんど決まっているじゃないか。

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リアルに感じるってどういうこと?

我々は表象を通してしか世界を認識できないので、
現実でも想像でも、脳みその中でないとリアルにならない。

だから、それは現実にあるものそのものではないということか。

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生理学では、辛味は味覚じゃなくて、痛覚プラス発汗・発熱らしい。
伝統的には味であった辛味を、科学は味から除外したわけか・・・。

反面、日本人における激辛の受容は20世紀末以降のことらしい!

直感だが、辛味って、なんかある。

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理論や経験から、結果が予測できるときには、
いつのまにか、起きる現象そのものを無心に体験するのではなく、
言葉で表現された予測を超えるほどの知覚は働かせずに、
「いまーここ」をありのままには受け入れられないような感覚となる。

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生命としては、知りたいから知ろうとするばかりで、知ることは楽しい。

人間としては、言葉で「何で知らなきゃいけないか」の理由を作り上げて
知ることを手段にするので、努力や根性が必要になってくることばかり。
やがて知ることが苦痛になってくることも、よくある。

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いざというときは、個人それぞれの生き方を、公的制度が助けてくれる。

しかし、そのとき、個人それぞれの生き方は、
公的制度によって公に奪われかけているのかもしれない。

(でも、助けてくれている。)

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不可解で不愉快な人の行動を「障害」という概念で理解できれば、
受容し、許せる心的変化が確かに起こるし、それは優しくもある。

でもこの心的変化は、人間が普遍的に抱え、また超えるべき問題を
改めて白日の下に晒しているとも思う。

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すごく大きな括りの集団の危機は、
はっきりと意識に上らないし、
臨場感もないものだ。

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ある枠組みの中ではどんなに正しい答えであっても、
必ず他のある枠組みの中では正しくない答えになるものらしい。

ということは、答えより、まず
どの枠組みで考えるか?に注目した方が良いということだね。

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残念なことに、時々あることのようだけれど、
正しくなくても多数派になれるってことは、
正しいかどうか?で人の心は動かないってことだね。

ん?多数派になっておくことはある意味、いつも正しい選択かな?

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本当は、個体と個体との間に「関係」ができてくるのではなくて
関係があるから「個体」が立ち現れてくるらしい。

インターネットは匿名性が高いから情報の巡りがいいみたい。
良い「関係」なのかは知らないが、匿名でも「個体」みたい、かな。

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子どもの成長を科学でもって管理しようということのようだが、
「交換可能」にして良いのは、専門家までなのか?
先生までなのか?家族までなのか?子ども自身もなのか?

そもそも、こんな問題を立てているのがおかしいのか?

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「科学」ということは「普遍性がある」ということでもあるので、
科学に依拠する分野の専門家は
仕事に関して「交換可能な存在」でないといけないはず。

・・・なのになぜか「自分でないと駄目」と思う専門家は多い。

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性別:
男性
職業:
子育て・発達相談
趣味:
ジャズ・ミュージシャン
自己紹介:
「最長で4行」という鉄則を作者自身に課し、厳密に書かない代わりに、「読む人が自分の読みたい意味で読んで良い」という気分で書いている『日々わかば』です。やっぱり「意味は自分の外には無く、それぞれの人の内側にのみ生ずるもの」ということで合っているようなので。

「ことばと子育ての相談室 わかばルーム」HPのトップページに掲載したものからダイジェストでここに保存していきます。
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